[90]利用者を鋳型にはめよ
先日ある人からこんなご意見を聞いた。
「この前、福祉施設に実習に行ったんですけど、やたら利用者の人に嫌がることを強要していますよね?例えば、パジャマに着替えたりすることとか、歯磨きとか本人が『嫌だ』と言うなら止めてあげればいいのに絶対に強要するんですよ。普通の人でもパジャマに着替えない人はいるし、歯は寝る前しか磨かない人もいるんだから本人の好みを尊重してあげればいいのに・・・」
一般の人が感じる最もな疑問に俺はこう答えた。
「福祉ってね、どこでも利用者を鋳型にはめたがるんですよ」
「鋳型?」
「そう、鋳型。利用者は毎食後口腔ケア(歯磨きのこと)をするべきだとかね。皆それぞれやってきた人生があるから、生活習慣の違いがある。だけど、個人個人の生活習慣の違いなんか全く認めず利用者を同じ一つの鋳型にはめたがるんですよ」
「でも、職員さんたちは『利用者の個別性の尊重が大事』とか言っていましたよ」
「そんなの口だけですよ。実際やっていることを御覧なさい。パジャマ一つ、利用者に自由を与えないじゃないですか。それでいて、利用者の人権が大事とか平気で言えるのが福祉関係者ですよ」
福祉関係者は利用者を鋳型にはめているにも関わらず、自分たちは利用者の満足のために働いていると錯覚している連中だ。こんなことを言うと猛反発を食らいそうだが、事実なのだから仕方ない。以前例に挙げた内服にしても、「薬を飲みたくない」と言ってもなんだかんだと強引に飲ませたがる。食事にしても以前「フォアグラ(第19号~第21号)」で語ったように利用者が「食べたくない」と意思表示をしても、今もなおどこの施設でも無理矢理食べさせている。他には排泄、入浴、整理整頓、金銭管理、整容、散髪、更衣、リハビリなど本人の自由意志と反する強制が公然とまかり通っている。
勿論中にはどうしても強制執行が必要なケースもある。例えば、失禁していて更衣させなければならない場合、周囲に異臭が残るくらい何ヶ月も入浴しない場合、また暴れたりして周りの人に迷惑を掛ける場合・・・・そういう時は本人が嫌だと言っても止むを得ないかもしれない。だが俺が指摘したいのは、強制執行する必要性が見られないのに利用者の自由意志に反した介護をしている現実があることだ。俺が経験した中でもこんなものもある。ある利用者の男性は無精ひげを生やしていたら、本人が嫌だというにも関わらず無理矢理剃ってしまったことがある。理由は外見が汚く不潔に見えるからだというものだった。
何でひげを剃るのか?外見上、無精ひげはよくないと考えられているからだ。だが、それはあくまでも介護者個人の価値観であって、利用者の価値観ではないだろう。ひげなど生やしていても別に他の入居者に迷惑を掛けるわけではない。入浴も何ヶ月ならまだしも1週間入らない程度では無理矢理入れる理由にならない。嫌がる利用者にリハビリと称して、廊下を車椅子で自走するように放置している実態はどこにでも見られる。常識から考えたら虐待と言われても仕方がない行為なのだが福祉関係者は自分たちは利用者のためにしていると信じているから厄介だ。ではなぜ福祉ではこのような利用者を鋳型にはめる行為をしたがるのか?
その理由の一つは介護者は多様性を認めないところが大きい。多様性のことを話す前に少し介護者の差別問題と人権意識について説明しよう。実を言うと福祉関係者は意外と差別問題や人権意識に希薄な人が多い。「福祉関係者だから差別問題や人権問題には詳しいはずだ」と思っている人が多いかもしれないが、それは誤解だ。ほとんどの福祉関係者は教育機関で差別問題や人権意識について教育を受けていない。だから職場で平然と差別用語とされている言葉を吐いてしまったり、知らない内に人権侵害をしていることがある。虐待問題がどこの福祉分野でも縁切れないのにも当然これらと無関係ではない。
そして実を言うと差別問題と人権問題の肝は多様性なのだ。人間は人種、言語、文化、習慣の違いで簡単に差別をする動物だ。それらの差別を克服するためにお互いの多様性や価値観の違いを教育によって学ぶのだ。だが、介護者はそれらの多様性の受け入れについて未熟な人が少なくない。先ほどのひげを生やした男性にしても、ひげは不潔に見えるからと言って剃りたがるのが介護者に多い。しかし、少数ながらひげは自己表現の一部だと言う人もいるし、少なくともひげを他人に無理矢理剃られたくないという希望は尊重してしかるべきだろう。ところが施設は介護者にひげは無条件で剃るべきだと教えている。そこにはひげについて「剃られたくない」という本人の希望が入る余地はない。無知で独善的、独りよがりな偏見のとりこになっている介護職は疑問を感じることはないのだ。
もう一つ介護者が利用者を鋳型にはめる理由がある。それは面子と体裁だ。ひげが生えたままの利用者がいると「あの施設は利用者の整容さえきちんとできていない」と外部の人間(家族を含める)に評価されてしまう。確かに施設のする事は何も知らない外部の人が見ると誤解されやすい一面がある。しかし、そのような偏見や思い込みには説明すればいいだけだし、面子や体裁のために利用者の多様性を認めないのは福祉関係者の怠慢と傲慢だと言われても仕方ないだろう。
今回は俺も思わぬところで多様性と差別問題が話題に出た。しかし、介護者は偏見に陥りやすい生き物なのだ。次回はそのことについて語ろう。
エル・ドマドール
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