[041]不思議の国ブルネイ

 ブルネイというと、石油が出るお金持ちの王様(サルタン)の国で有名ですがどこにあるかご存知ですか?赤道をはさんだ大きな島ボルネオ島の北の方にあり、三重県くらいの広さの小国です。ちなみにボルネオ島の北側はマレーシア領、南側はインドネシア領でカリマンタンと呼ばれています。この国で産出される鉱物性資源(石油、天然ガス)の実に99.9%は日本に輸出されており、私たちの日々の生活を支えてくれています。人口は約33万人。人口ひとりあたりの統計数字からはアジアで日本に次ぐお金持ちということです。
 私は以前から一度ブルネイに行ってみたいという気持ちがありました。石油のおかげで個人所得税も払わなくていい、他に大きな産業もなく、当然大きな消費市場もない国で平均月収が20万円というのはどんな暮らしぶりなのか、日本の社会構造とはまったく違う世界がそこにあるに違いないと思ったからです。シンガポールで乗換え、ブルネイ航空を予約したもののその便は急遽キャンセル、その日のブルネイ航空最終便に押し込まれ主都バンダル・スリ・ブガワンの空港に着いたのは夜中の11時半であたりは闇に包まれていました。暗闇に目を凝らして見ると景色はどうやらマレーシアに似ています。
 翌朝はみごとなほどの快晴。とんでもなく暑くなりそうです。来る前の情報では、「人が少ない」「のんびりしている」「物価が日本とほぼ同じ」。確かにインドネシアに比べれば、首都というのに人は少なく、どこもかしこも新しく、ぴかぴか磨きあげられた感じです。ごみごみした日本に住み慣れた目からは「生活感がない」の一語に尽きます。ホテルのロビーには政府機関の女性 3人がずらりと民族服で並んで待っていてくれました。日本の政府機関の職員が和服で仕事をしているようなものですから、お国柄とはいえ、単純な不思議を覚えます。
 街の中の看板はマレー語、英語、アラビア語で表記されています。中国系の人も多いため漢字の看板もあり、ありとあらゆる文字がにぎやかに目に飛びこんできます。政府機関の女性に聞いたところ、アラビア語は読めるが話せない、とのことでしたので、おそらくお祈りはすべてアラビア語なのでしょう。来たときの飛行機の中でも離陸前に旅のお祈りというのが、機内にいきなり流れ出したのですが、アラビア語の音声にマレー語と英語の字幕スーパーがついていました。


 車で出かけるにしてもルートが決まっているというほど道路の数が多くありません。道がすいていても運転手は決して飛ばしません。すべてがゆったりとした時間の中でまわっています。東南アジアで最も美しいといわれる純白と金色に輝くオマール・アリ・サイフディン・モスクと黒いアクセントの入った丸い尖塔を持つジャメ・アスリ・ハサナル・ボルキア・モスク。東南アジア一の規模を誇る遊園地ジュルドン・パーク、世界最大の王宮イスタナ・ヌルル・イマン、7ツ星8ツ星とも言われるエンパイア・ホテル。これらはサルタンの富と力の象徴です。美しさ、大きさ、贅沢さには圧倒されますが、なぜか遊園地的で何度も見たいとは思いません。前号のボロブドゥールなら何度行っても違う感動や発見があるような気がします。歴史の持つ重さの違いなのでしょうか。
 ここには世界最大規模の水上集落があります。カンポン・アイルと呼ばれ3万人が手工芸などをして暮らしています。また、夜のマーケットにはこんなに人がいたかと思うほど家族連れでにぎわっていました。ここだけが人間の暮らしを匂わせています。
 イスラム教とはいえ、アセアンらしく政府機関の職員はもちろんのこと、ビジネスの分野でも女性の進出は目を見張るものがあります。日本に比べれば早く結婚し、子どもが 4人も 5人もいるのが当たり前であってもそうです。ウーマン・ビジネス・カウンシルの理事さんたちにディナーのご招待にあずかりましたが、その良く食べること食べること、年齢が母娘ほど違う女性どうしでも実に和気あいあいと楽しそうです。彼女たちはばりばりのキャリア・ウーマンとあってたっぷりしたブラウスにパンツ、頭には被り物とやや近代的ないでたちでしたが、あのたっぷりした衣装で太っても目立ちにくい、離婚の心配がない、人生にたくさんの選択肢がない、というのも実は幸せな生き方なのではないかと私には映りました。
 一方、インドネシア、マレーシア、フィリピンの近隣諸国から多くの労働力をこの国は受け入れています。前述の有閑マダムの道楽商売を工房でそして家事面で支えているのは、こうした出稼ぎの外国人たちです。帰りはマニラ経由で帰りましたが、同じフライトに里帰りのフィリピン人がぎっしり乗っていました。彼らにはブルネイの富の片鱗さえうかがえません。正式国名ネガラ・ブルネイ・ダルサラーム「平和の郷」を陰で支えているのは彼らたちかも知れません。
河口容子