第20回 ヘルパーまでの道のり(2)~知情意~
こんにちわ。永礼盟です。ご購読ありがとうございます。
島田様が帰ってこられる。正直言って、恐いと言う感情から逃げたい自分が居ました。その方のプライドと接することの難しさ、痴呆と人間性。思えば思うほど、恐くて、恐くて、毎日業務をこなしながら、憂鬱と向き合っていました。それが本音です。
私は、日々の出来事をレコードしていくことが好きでした。今ある憂鬱と向き合うため、ヘルパー講習に通っている頃の記録を読み返しました。少しでも、島田様対応のヒントがあれば?と。
ヘルパー2級の講習が始まり、スクーリングの2回目の授業を、当時の記録から抜粋します。
今日は、心理学を学んだ。これが、思いの外興味深く、のめり込むように話を聞いた。テキストスタディーだが、テキストは開かず、先生のメニューに沿って行われた。
実際に、心理カウンセリングをしている先生で、人間の受容について教えて貰った。70歳の寝たきり老人Nさんを、実例に出し、話は進んでいった。床ずれで、苦しむNさんに、寝返りをうたせようとした看護婦さんへ、怒りと、不満をぶちまける。「自分のことは、自分がよく分かる!そんなことしなくても、何もならない!!」その看護婦さんは、どういう対応を強いられるか?そこを、学ぶ授業だった。
床ずれは、寝返りをうたせないと、酷くなる一方で、必ず二時間にいっぺん、行わなくてはいけないそうだ。そう言われてしまっては、寝返りをうたせることが出来ない。放っておけば、重度の褥そう(床ずれ)になってしまう。さあ、どうする?の心理学だ。
知識、経験、情報。この三つは、人間関係において、邪道なのだそうだ。「床ずれは、放っておいたら苦しくなるのは自分だよ。」そういう、知識からの語りかけでは、絶対に人の心は動かせないようだ。経験や、情報(先入観)も通用しない。まず、目の前にいる生きている『人』に注目する。そして、知識、経験、情報の三つの技術を、検挙に隠す。相手を、思いやる事が大事。技術は二の次である。
そこで、用いられるのが、『知情意』と言う気持ちだ。
『知』で、相手が何を考えているのかを聞き、確かめる。
『情』で、相手が何を感じているかを分かろうとして聞き、確かめる。
『意』で、相手が何を望んでいるかを聞き、確かめる。
要は、相手の立場になって物事を考えられるか?だ。日頃、疑問に思うことや、自分の理想とする人間像も感じることが出来て、とても興味深く話が聞けた。まだ、介護の仕事をしていない自分は、今の仕事で、お客から怒鳴られた時を、思い出していた。その時、知情意の気持ちを用いることが出来ていただろうか?
相手の気持ちに立って考える。言葉では、簡単に言えるけど、実戦するのは難しい。そして、『解る』と『出来る』は、イコールではないと言うことだ。理屈を理解しても、それが出来るとは言わない。
そんなことを、勉強したあとに、ロールプレイをした。先生が、65歳の老婆役になり、生徒がヘルパーで訪問した設定で行った。
情報は、
1)合併症で、糖尿病になり、もうすぐ失明することを伝えられている。
2)優しい旦那様がいらっしゃる。
ヘルパーとして、その辺の情報が与えられている設定だった。
先生は、失明をする愚痴を始めた。
先生:「ヘルパーさん、話してもいいですか?」
生徒:「はい。良いですよ。何でも答えますからね」
先生:「私は、医者から失明すると言われましてね、もう生きている希望も、
何もないんです。こんな事なら、早く死んでしまった方がまし。私
なんか、この世にいない方がいい人間なんだ。もう、何も見えなく
なってしまうんです。」
生徒:「そんなことないですよ。世の中、辛い思いをしてる人なんて、いくら
でもいるんですよ。鈴木(仮名)さんも、頑張って下さいね。」
先生:「はぁ~」
生徒:「。。。。。。。」
と、こんな感じで終了した。客観的に見てても、返答が辛かった。どうしても、言ってはいけない事を言ってしまう。鈴木さんよりも、辛い人がいる。これは、安易な励ましに値する行為なのだそうだ。言葉は柔らかいけども、「世の中にはもっと辛い人がいるんだから、あなただって、もっと頑張れるはず。」と、説教になってしまう。気づかないうちに、相手を否定している。テキストで理解しても、実際に行う難しさが、心理学にはあるんだと学んだ。
自分なら、どうする?そればかりを考えていた。頭の中でシュミレーションを、何度も、何度もしてみた。私なら、こう言う。
「失明する気持ちは、どんな気持ちですか?私は、失明する気持ちが正直言って分かりません。もし差し支えなければ、私に教えていただけませんか?」間違えかどうかは、今解らない。しかし、頭の中で何度もシュミレーションした結果、そんな返答が出てきた。これで、その気持ちが怖いのか、悲しいのか?教えてくれたら、それは、怖いですね。それは、悲しいですね。そう、共感する。最後に、鈴木さんのおっしゃっていることは、失明に対する恐怖感なのですね?と、質問する。それが、自分のロールプレイだった。
しかし、今正解かは解らない。その場になったら、緊張と、焦りで、言葉も出てこないと思う。でも、とても、興味深い勉強だった。
午後は、ベッドメーキングの実技になった。実際に、シーツの取り替えを行った。そこの教室で、男性は私1人だった。普段、シーツを引く経験のない自分は、タジタジだった。かなり、鈍くさかったと思われ、先生をいらつかせた。
しかし、私は真剣である。病院で働いている女の子二人いたが、1人は手際よく器用にこなすタイプだった。しかし、もう1人は、照れ隠しに行動がせっかちになるタイプのようだった。二人一組で、メーキングするときに、私とその子が組んだ。先生に、そことそこは違うから。ああ、そこじゃなくて、こことここを持って左手に持ち替えるの。そう指導する先生に向かって、「ふぇ~い。ウヒヒヒヒ」と、照れ笑いする。出来ない事を恥じる気持ちは、私も一緒だ。しかし出来ないのだから、出来るようになる姿勢を見せたかった。
だが、言ってることを実践するのは、本当に難しかった。これは、体が覚えないと駄目だと悟ったが、頭で一つ、一つ考えながら、頑張った。
出来上がりは、誰も寝てくれないような仕上がりだった。しかし、自分は、考え、理解し、行動できたことが嬉しかった。
もう一つは、患者さんを寝たままシーツ交換する作業を行った。ボディメカニックスという、動作を利用し、作業効率を上げる動作を行いながら、シーツを交換した。
どういう物かと言えば、患者さんの手を、胸の上でクロスさせ、膝を少し曲げて貰い、肩と、膝を軽く押してあげると、簡単に横に向かすことが出来る。これが、ボディメカニックスだ。
テレビで見たことがあったが、実際に体験したのは初めてだった。そして、シーツを変える。大変だったけど、凄い充実した勉強だった。
早速、家で試した。イヤ、試そうと思ったが、シーツがなかった。
今でも、永礼盟は、この時に学んだ、『知情意』が脳裏に焼き付いています。『受容』と言う言葉を学んだのも、この時の授業でした。
まさに今、教えを実戦するときではないかと。島田様との葛藤は、この教えなくてはあり得ないのではないかと。当時の記録を読み返し、決意を新たにする自分が居るのでした。
2003.07.12
永礼盟