[60]チャイルド・セイフティー(1)

2018年8月25日

ここ近年、児童を狙った犯罪が相次いでいる。誘拐、性的虐待は言うに及ばず殺人にまで至るのだから嫌な世の中になったものだ。小さい子供のいる読者は児童が巻き込まれた犯罪報道を見るたびに自分の子供は大丈夫なのか心配になるだろう。今回は児童を狙った誘拐を始めとする犯罪について語りたい。
児童誘拐など児童を狙った犯罪と福祉は関係がないと思うかもしれない。しかし、子供を狙った犯罪については保育所や幼稚園など福祉の現場でもかなり警戒されている。もはや福祉は犯罪対策をしないといけない時代になっているといえるだろう。
まず日本に限らず世界でも共通しているのだが、親が子供に誘拐を防ぐために言う台詞で一番多いのはこれだろう。
「知らない人に付いて行ってはいけません」
誘拐を防ぐために子供にこんな事を言っているのだろうが、専門家の中にはこの言葉に疑問を感じる人もいる。俺自身もこの言葉は意味が無いし、時に禍になりかねないと思う。なぜなら誘拐する人間は何も「知らない人」とは限らないからだ。誘拐犯は親族、近所の人、教育関係者など児童が知っている人のケースも多いからだ。
アメリカでは年間80万近い18歳未満の児童が行方不明になるが、一番多いのは家出、二番目はなんと離婚・再婚した家族による拉致・誘拐なのだ。これをファミリーアブダクションと言うが、20万人にも昇るから驚きだ。三番目は迷子や事故による行方不明。家族以外の無関係者による誘拐は四番目なのだ。
ファミリーアブダクションはアメリカならではの事情かもしれないが、「知らない人」は案外少ないのだ。よく考えてみれば誘拐犯もよく「知っている」児童の方が警戒されないし、何よりも犯行声明を送る連絡先も、親がどのぐらいの資産を持っているかよくわかっている。誘拐犯からすれば「知っている」児童を誘拐するのは合理的な選択なのだ。
もっとも「知らない人に付いて行ってはいけません」と幾ら注意されても子供がその通りにするとは限らない。2003年に長崎で発生した4歳児の誘拐殺人事件では被害者の子供は常に「知らない人に付いて行ってはいけません」と教育されていた。それにも関わらず子供は知らない中学1年生の犯人に付いていき殺されてしまったのだ。防犯上に効果にはかなり疑問がある。
この言葉にはもう一つ負の側面がある。「知らない人に付いて行ってはいけません」と教えられた子供は無条件に「見知らぬ人」は全て敵だと思い込む。このような偏見が子供の人間形成に悪影響を与えることは勿論だが、もし子供が誘拐された時にいらない足枷をかけてしまう。いくら「知らない人」に気をつけていても、所詮は子供の抵抗など大人に勝てるものじゃない。無理やり拉致されてしまうこともあるだろう。誘拐犯は相手が子供だからと油断して結構隙を見せることがあるのだが、その時「見知らぬ」人が全員敵だと思い込んでいる子供はなかなか回りの大人たちに助けを求められないのだ。見知らぬ人の中には悪い人もいれば、親切な人もいる。現実問題、「知らない人」は誘拐犯よりも普通の常識ある一般市民が多いだろう。「知らない人」をすべて悪人と教えるのは危険も多いのだ。
「知らない人に付いて行ってはいけません」と教えるのは元々誘拐を未然に防ぐためであるし、防犯のために他ならないだろう。しかし、俺は子供にこんな事を教える前に肝心の大人たちの責任はどうなのか?と言いたい。例えば福祉施設にいる入居者が無断外出をして、事故や犯罪に巻き込まれたら当然施設が非難される。施設には入居者を守る責任があるからだ。子供が誘拐された場合、誰の責任なのか?子供たちは無力だ。大人よりも弱い立場なのだ。大人たちが子供たちを守らないといけないのだ。あのこんにゃくゼリーの一件でもそうだが、施設でもし同じ事があれば施設が非難を浴びるのが普通だ。しかし、家庭で同じ事があればきちんと管理ができない親ではなく作ったメーカーが非難を浴びる。自分の責任を棚に上げて、メーカーを訴えるのは身勝手もいいところだ。いい加減親達は子供を守る責任を果たすべきだ。
子供を守る立場の学校関係者や保育関係者の言動も「知らない人」を敵視する方向に傾いているのが現実だ。あの池田付属小学校事件以来、多くの学校や保育園では門を閉めるようになり、外来者に過敏になった。防犯は結構だが、やり方に修正が必要なのではないだろうか?あまりにも過剰な施錠はまるで要塞のようだ。障害者施設や老人施設で同じマネをしたら「まるで刑務所だ!人権侵害じゃないか!」と非難されることがあるのになぜか幼児に対しては許されている。外部を遮断するあの門を見て、地域社会との連携なんて冗談もいいところだ。福祉界のダブルスタンダードもいいところだが、施錠する理由も障害者施設などと同じだ。施錠や門なしで安全を確保できる人的余裕や金銭的余裕がないからだ。
近年、「知らない人」に対する警戒は強まるばかりだ。一昔は泣いていたり、様子がおかしい子供がいれば「知らない人」でも「坊や、どうしたんだい?お母さんはどこかな?」と声をかけ、子供を気遣っていた。社会全体で子供を守るシステムができていたのだ。しかし、今はそんなことはできない。特に中年男性が同じような行動をすれば、問答無用で怪しい人だと誤解されるからだ。子供を守りにくい世の中になってしまっているのだ。
エル・ドマドール
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