[69]障害受容するべき人々
過去3週に渡り障害受容を語ってきた。普通の社会福祉業界で「障害受容」と言えば、障害者が自分自身の障害を受け入れるという事を意味する。現に俺のメールマガジンでは障害受容はあくまでも障害者が受け入れるべきものについての話だった。しかし、俺は今回断言したい。障害を受容するべき人々は障害者本人だけではない。他にも障害を受容するべき人々がいるのだ。ありきたりな福祉本なら社会が障害者などのマイノリティーを受け入れていない現状を告発するかもしれない。バリアフリー環境がまだまだ整備されておらず、ノーマライゼーションの理念からはるかに程遠いという話をあたかも緊急課題のように大げさに話すのかもしれない。いかにも福祉関係者が好きそうな話だ。だが、そんな話は退屈だし、何よりも面白くない。このメールマガジンは「学校では教えない」事を真髄としている。教科書に出来ない話を読者の皆に語りたい。
(1)家族
障害を受け入れるべき人々は・・・まずは家族だ。普通の一般的な考えだと家族は無条件に障害者を受け入れていると考えられている。しかし、家族だからといって福祉のお世話になるような人間が自分の家族の中にいる事を認めたがらない人がいるのだ。
例をあげよう。俺がかつて勤めていた施設にはパーキンソン病の利用者がいた。その人はある時はオムツ交換や入浴介助で介護者に噛み付き、引っかくなど暴力行為を働く時もあれば、ある時は普通の人のように穏やかに話す時もあった。認知症も発症しており、感情の変動が激しかったのだ。ある日の事だ。娘がこんな事を上司に言ってきた。
「母が誰か男の人に腕を無理矢理引っ張られたと言っているんです。ここの施設の職員さんがしたのではないですか?」
訴えを聞いた上司は笑いだしそうだった。典型的な認知症の記憶障害と被害妄想だ。だが娘は真剣だった。
「お母様は典型的な認知症ですよ。腕を引っ張られたというのは妄想ですよ」
「いいえ。母は私が来た時は正気に戻るんです。本当の事だと思います!」
「冗談じゃありません。娘さんが帰った残りの時間は不穏な時が多いですよ!私の部下が何度も噛み付かれたり、引っかかれているんですよ!それをどうお考えですか?」
上司はヘルパーが虐待していると決め付ける娘の口調に思わずむきになった。
「母が暴力を振るうのはそちらの介護の仕方が悪いからでは?」
「何を言っているんですか!こちらの介護の仕方が良かろうが悪かろうが、うちの部下たちは殴られてますよ!それが認知症ですよ」
2人の水掛け論はしばらく続いた。
この娘は自分の母親の認知症やパーキンソン病などの症状を受け入れようとしなかった。自分の母親が職員を殴っていることや、健常だった頃の母親の姿はなくなりつつある事実を認めたくなかったのかもしれない。実際認知症の人の言う事が妄想だったりする事はよくある。「ヘルパーに財布を取られた」などとありもしない事を真顔で訴えられ、ヘルパーが窮地に立たされる事は少なくない。たがこんな事は珍しくないし、本人はともかくとして家族や周りの関係者も事態が段々に飲み込めてくるものだ。しかし、中には自分の父母や兄弟、子供が重大な障害を抱えている事を直視しようとしない人もいる。普通は本人が受け入れるのが障害受容と言われる。しかし、障害受容が必要なのは何も本人だけではない。周りの家族にも必要なのだ。
もっと露骨なケースもある。俺が実際に障害者施設で働いていた時の事だ。27歳の脳性麻痺の障害者女性が施設に入所していた。彼女には弟がいた。「大学を卒業していて、いい会社に勤めているのよ」と嬉しそうに弟の事を自慢げに話していた。その弟が結婚することになった。彼女はわが事のように喜んだ。しかし、彼女が結婚式に出席する事は無かった。家族は障害者である彼女の存在を結婚する相手に隠していたのだ。身内に障害者がいると世間体が悪く、評判が悪くなるからと家族は信じていた。自分の家族から存在を抹殺された彼女の気持ちはいかほどか?語るまでもあるまい。
これは酷いケースだが、こんな話は珍しくない。この家族は表向きはとても仲がいい理想的な家族だったが、真実は自分たちの面子や保身にこだわる単なるろくでなしだった。皮肉な事に障害者の存在が彼らの本性を暴いたのだ。最初に出てきたパーキンソン病と認知症の娘も本質的には同じだ。彼女は一見すると母親への想いが裏目に出て、無理難題を言っているように見える。だが、それは違う。彼女が認める母親は健全だった頃の母親なのだ。今のように人格も変わり果てた人間は母親とは認めていないのだ。家族が障害受容できない深層心理をのぞくと、それは傲慢極まりない差別意識があることがわかる。
自分の家族に障害者がいると自分の血統や遺伝子に何か欠陥があるのではないのか?親が認知症だと自分もそうなるのではないか?21世紀になっていても、そんな事を信じている人は多い。科学的根拠の無い偏見もいいところだし馬鹿馬鹿しいが、ナイーブにそれを口にする人はまだいい。まだ正直なだけに救われる。自分の深層心理にその類の偏見があることを認めない人の方が厄介だ。「自分は差別するような悪人ではない!」と自分が差別や偏見を持つ人間であり、障害者の存在を受け入れていない事を認めない人は多い。言っておくが、他人を見下す差別意識のない人間はいないし、誰もが大なり小なりの偏見は持っているものだ。差別意識を持つことは別に異常でもなんでもないのだ。人間は障害者を差別するから邪悪なのではない。自分を偽るからこそ邪悪なのだ。
エル・ドマドール
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