ギフトの話

 先手必勝と各百貨店が早めにお歳暮の売場をオープンしました。私自身は形式だけの贈答というのはいかがなものかと思いますが、ふだんお礼をする機会が何となくないという相手に何か差し上げるには絶好のタイミングのような気がします。今年は海外旅行を控え、年末年始を国内で過ごす方が多そうです。お歳暮はもとより、クリスマス、お正月と最大のギフト・シーズンを避けては通れません。

 テレビで見ましたが、アンケートでは親に贈るという人が半数以上いました。1年中何も贈らないよりはましかも知れませんが、それしかギフトのチャンスがない、もしくは形式化した親とのつきあいになっているのかとあらためてびっくりしました。誕生日、父の日、母の日、クリスマス、敬老の日などにギフトを贈っている間柄ならお中元、お歳暮はいかにもよそよそしすぎるからです。

 ギフトを考えるのは苦手、はては面倒くさいという人によく出会います。いい訳がましく「ものじゃないよ、心だよ。」などとおっしゃる方もいますが、心というのはなかなか表現しにくいもので、その心を具体化したのがギフトだと思います。自分の買い物に時間はかけてもギフト選びに時間はかけたくない、更にはそんなことはしたくない、という人は相手の喜ぶ顔が見たいという気持ちを持てない寂しい人間だと同情します。

 知人が会社を設立した際に、ハンガリー製のコーヒー・カップのセットを差し上げたことがあります。何年も前のことですが今でもオフィスにお邪魔するとそのカップを出してくださり、大事にしていただいていることが窺われ私もとてもうれしい気持ちになります。自分にまで喜びが返ってくるとは本当に差し上げたかいがあるというものです。

 昔、水彩画が趣味の上司がいました。異動などの時に自分で描いた絵を記念に下さるのですが、贈る相手にちなんだ場所を選び、わざわざ写生に行くのです。私には母校の周辺の景色を真冬に鼻水をたらしながら描いてくださいました。建物や道路も今ではすっかり変わってしまいましたが、絵だけがいつまでも懐かしい母校の景色を思い出させてくれます。

 入院したとき、ダンボール箱いっぱいに自宅の書棚から文庫本を持ってきて下さった方がいました。ミニ図書館のようなものです。これだけあれば、読みたい本は何冊かあるだろう、もちろん全部読んでくれてもいいし、退院する時に宅配便で返してくれればいい、とのことでした。相手のことを考えれば、お金をかけなくてもすばらしいギフトが贈れるといういい例でしょう。

 確かフランスの話だったかと思いますが、あるお金持ちの奥さんがクリスマスの日は朝早く起きて自分でとびっきりのごちそうを作るそうです。それは家族のためではなく、教会の教区で一番貧しい家へプレゼントとして自ら持って行くのだそうです。

 だんだん寒さに向かう頃、心まで暖まるようなギフトが贈れたり、いただけたりしたいものです。

2001.11.22

河口容子