[07]心の傷(2)

2018年8月5日

今一度整理してみますと、小学生の頃私は誰とでも仲良くすることを心がけていました。ので、どんなことがあっても笑って過ごしていましたが、それが苦だと思ったことは一度もありません。皆ユニークで優しいもんで、私にはとても心地の良い環境でした。卒業式も、「どうせ皆同じ中学じゃーん?!」と笑って先生達にお礼とお別れの言葉を告げて、6年間、色々なことに悩み笑い助け合った、時には学校の修理で真夏のくそ暑い中プレハブ校舎になろうと私の体重が重すぎて歩くたんびミシミシいって試しにジャンプしてみたらメリッとかいって全員で笑った、とにかくもう楽しかった小学校に、皆で別れを告げました。いざゆかん、次は皆で中学校だ!
…そんなノリで、今度は中学入学までの春休み。この田舎町は一つ一つの団地があって、私は自分の団地の仲間、あだ名「大棒」、「まーくん」、「ボーヤ」と、小学3年頃から(多分)両想いだというのに私が男っぽいもので絶対に打ち明けることの無かった、毎日毎日暑苦しいくらいべたべたくっついてくる「じろ」を加えて、春休みが終わるまで皆でのんびりとゲームしたりドッチボールしたりして過ごしていました。(恋愛話については私も興味がないので後々小さく語ります)
4月の5日、春休み最終日が誕生日である私はその三日前に、新しい中学校の制服を買ってもらい、誕生日はその制服で過ごしました。女子なのに成長が早いので、後々を考えて自分の体より大きい制服でした。これから始まる中学校生活の物語を頭の中で考えつつ、私は誕生日と春休みを終えました。
6日、中学入学式が終わり翌日の7日、1日目の登校日。私は自分で綺麗にブレザーを着て、ぼうたいを結びました。小坊から紐靴を履かない私は、校則で決まっているぼうたいと紐靴によく苦戦していました。…蝶結びが出来なかったのです。入学して数日でやっと覚えたくらいです。
へろへろの紐の靴を履いて、足早に家を出ました。小学校とは違う通路。なんだかちょっとだけ大人になった気がして、夢見心地でした。
小学校は自分の団地を抜けてもう二つの団地を抜けた先にあったので登校に少々時間がかかりますが、中学校は私の団地の真裏なので本当にすぐ付きます。私の足では10分というくらいです。平均の人は5分です。
そういうわけで早々に学校についた私は、同じ小学校の友人達と顔合わせしました。その時、少しだけ疑問に思ったのは、皆が少しよそよそしかった事。見て見ぬ振りをして普通に話していましたが、その時私はとても人の目を気にしていました。
私の小学校は元々平凡的な伝統を受け継ぐもので、実際学校内での問題はすぐに解決になるし不良らしい不良なんて一人も居ませんでした。
それと違って、入学式だというのにスカート短い!ぼうたいしてない!学ランよれてる!ていうか髪!茶色茶色!第一印象、「なんて夢のない奴らだ…」。
つまり、私たちの小学校とは違い他の小学校は不良男女が多すぎるのでした。今の現代では普通のことですが、50年代の教育を受けていた私には信じられない光景でした。そして、同じ小学校の友人のよそよそしい態度。
私は気付かないふりをしていました。 
しろいぬ万呼

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