[13]学校の先生(5)

2018年8月5日

?転校?
私は精神的な疲れや、胃炎のため、学校を休み続けました。いわゆる、不登校ってやつです。母は先生と話し合い、学校にまで出向いてくれました。母は物怖じしないタイプなので、先生にはだいぶ言いたいことを言ったようでした。
しばらく休み、体調は良くなってきました。すると母が、「学校・・・行ってみれば?」と私に言いました。私も「このままではダメだ」と思っていたところだったので、「ウン。明日行くよ」と言いました。学校に行くのはものすごく怖かったけど、受験生なんだし、授業は出ないとマズイと思ったのです。
翌朝、私の胃はキリキリ痛みましたが、学校に行きました。怖くて冷や汗ダラダラでした。教室に着くと、私をいじめている人たちは私を直視しました。でも私はわざと目をあわさずにいました。その日1日はとても長く感じ、地獄と言っても過言ではありませんでした。相変わらずの悪口。ノートに「死ね」「ウザイ」「消えろ」と書かれました。先生は、ちゃんとこの人たちに指導したのだろうか・・・それとも、仕返しなのか。私にはサッパリわからず、その場を耐えていました。
その日の放課後、私は担任の先生に呼ばれました。私は、「励ましてくれるのかな」と多少の期待がありました。しかし、それとは逆だったのです。
「この間、お母さんから電話があったよ」
「ハイ・・・・・」
「なぁ燕、お前は弱い。だからこんなことになったんじゃないか?」
「・・・・・・・」
「学校休んでどうにかなると思ったのか?」
「強くなれよ、そしたら悩みなんかなくなるよ」
私はその瞬間、教師という生き物が大嫌いになりました。その日、私は泣きながら帰りました。重い鞄を持って、長いスカートをひらつかせながら・・・・。
胃炎は一向に治りませんでした。嘔吐も激しくなり、物を食べるのが怖くなりました。それを見かねた母は、私に「ねぇ弥子・・・転校しよっか」と言いました。私は「えっ!」と驚き、母を見ました。「苦しいでしょ、こんな時期だけど…受験もあるしさ」母もずいぶん考えたようでした。私は即、「うん!!転校するっっ!!」と言い、転校が決まりました。その日から私は学校に行きませんでした。そして、夏休みに入る前の終業式の日だけ行き、教科書など全部荷物をまとめ、友達誰一人にも別れの挨拶をせずにその中学を去ったのです。
夏休み中は、受験勉強に没頭していました。ただ、ときどき言い知れない不安感に襲われて腕を切っていました。転入する学校のことも不安で、その夏休みは「不安」という文字でいっぱいでした。
そして9月1日。2学期からの新しい学校は、とても自由でおだやかで、いい学校でした。不登校の人など1人2人くらいで、みんな仲良く、問題もない学校でした。友達もたくさんできて、私の胃炎はすぐに治りました。学校が大好きになり、半年という短い期間でしたが、「幸せ」と心から思えました。
卒業式では大泣き・・・・半年の付き合いだったけれど、みんなは私を「クラスメイト」として受け入れてくれたのです。本当に、本当に、転校してよかったと思いました。リストカットはいつのまにかやめていました。カッターも気が付けば持ち歩かなくなりました。
これからの高校生活に期待しながら・・・みんなの温かい言葉に胸を震わせながら・・・半年の短い期間お世話になった校舎にサヨナラを告げ、私は卒業したのです。
1、2、3、4、5と読んでくださりありがとうございました!「学校の先生」は今週号で終わりです。次号もお楽しみに☆
燕 弥子

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