[10]何かのために

2018年8月7日

こんにちは、そしてこんばんは。どうも倉山です。
ニュースで暦の上では冬は折り返し地点に来たとかいってましたっけ。(間違っていたらすみません。)
でも、寒さはまだまだこれからのようですね・・・うーん、年末のイベントごとの出費でお財布も寂しい(笑)
さて、今回は倉山がまたふと考えたこと。
『目標』
これ、凄く大事だとつくづく思うようになりました。
『目標』というよりも『理由』なのかもしれません。
両親がよく「仕事をするのは家族のため」、と言いますが。まさにその通りなのです。
家族があるから、家族と裕福とは言えないけれどそれなりの幸せを感じながら生活していくため。
家族がいなければ仕事なんかする必要ないでしょう?
きっと倉山が酷い鬱状態で毎日死にたい死にたいと思っていたのは、きっと『理由』がなかったから。
思えば倉山は幼い頃から動物に囲まれて育ちました。それが中2の頃には家には殆ど動物がいなくなってきていた頃だと思います。
「学校が終わったら早く帰ってちゃお(当時飼っていたウサギの名前です)を撫でよう。ご飯をあげよう。水も替えてあげよう」
今思えば、そんなふうに毎日を自分なりに充実させながら生活していたのだと思います。
それがなくなった高1の春。ぽっかり穴が開いたわけです。誰のために毎日こうして生きているのだろうか。
何故このぽっかりと何か機械の部品が一つ欠けたようにこの穴は埋まらないのだろう。
『理由』がない。寂しい。
それに気付いたのか気付かなかったのかはわかりませんが、父がもう一度犬を飼おう(昔飼っていました)、と言い出し。
保健所に保護された子犬を引き取りに行きました。
「ああ、今日からこの子のために」
倉山は何かのためにじゃないと動けないのでしょう。でもこれはこれでいいと思っています。自分では(笑)
「家族のために」
「友人のために」
「愛犬たちのために」
今はこれが倉山の毎日を頑張る『理由』です。
こうやって倉山はずーっと死ぬまで心の病にかかってしまった理由を探しつづけるのでしょう。
倉山栞

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