第5回 金融マンの自殺

2019年12月8日

そごうの副社長だった人が自殺した。少し前には破綻した旧都銀を引き継いだ新銀行の初代社長が、就任直後に自殺した。長銀の元頭取もDKB(第一勧銀)やMOF(大蔵省)の偉い人も死んでたな。金融マンはよく自殺する。おおかたがバブルの形を変えた精算なんだが。

商売なんて、もともとよっぽど才覚と運のある人は別として、儲けようと思えば人の倍働くか、人の倍頭をつかうかしかない。でも体と頭を使いきった連中が考える最後の儲ける方法がある。

「非合法」という商売だ。クスリから売春、高利貸し、脱税、裏ビデオ、違法コピーから禁酒法時代の酒まで、非合法ゆえに儲かる商売がある。元手はブタ箱に入る勇気とそれなりのリスクをとる覚悟だけだ。

といいながら、実は金融マンの商売も欲の権化である金を扱う以上、ホントは非常に薄汚い商売である。汚いからこそ、法律で免許業種にし、新規参入を防ぎ(最近はちょっと違うけど)、当局が箸の上げ下ろしまで口を出す。そうして金貸しの汚さを濾過している。「金貸しは銀行であっても実は汚い」、と知ることが金融マンの第一歩。金融はオモテ社会のエリートだと信じている金融マンは即刻退職願を書くべきだ。人様のカネを自分のモノのようにして貸し付ける尊大な貸付係がいるならその支店とは即刻おつきあいをやめた方がよい。

所詮金貸しは金貸し。金融マンとして出世したければ体と頭を使った上で、他人が手がけない仕事、できない仕事、やばい仕事…、要するに「非合法」に近いところに行かざるを得ない。ビッグな金の臭いと汚臭源は同じ。野望を持った金融マンの仕事は、刑務所の塀の上を歩くごとくである。シャバの方に落ちれば「役立たず」、ムショの方に落ちれば「クビ」、一生塀の上を歩き通せば、それこそ「伝説のバンカー」になれる。ま、金融に限ったことではないかもしれないけど。

僕も以前高い塀の上を歩いていた。あの研ぎ澄まされたバランス感覚と緊張感の虜だった。でも、実際バブルの時は塀の上にいる自覚さえないマヌケ銀行員ばかりだったな。実は塀の上を歩ききれる人はほとんどいない。今の銀行経営陣は塀の上からの転落組ばかりだが、その事実を忘れたフリをして生きている。自分はいまだ塀の上という狭い幻想の世界で生きているのだ。

そごうの副社長は金融マンではなかったけれど、バブルをくぐったという点では同類。金融マンの自殺が報じられるたびに思う。彼らは自分の意志で塀の上を歩き、そして落ちた。いや実はずっと昔に落ちていたのだ。自殺は落ちることを認めたくなかっただけではないかと。刑事捜査の過程で自殺するなど卑怯もはなはだしい。命の重みさえ知らぬ輩にカネを取り扱う資格はなかったのだ。気の毒だけど全く同情できない。

2000.11.16