第14回 投資信託(投信)の話 その1

2019年12月19日

投資信託が売れている。今回と次回は変貌を遂げた日本の投信販売と銘柄の選択方法等について書きたい。

投資信託とは、たくさんの投資者から集めた資金を、株式や債券市場で運営する商品である。投信の最大のメリットは、「少ない資金で分散投資ができる」ということ。また、投資の素人であってもプロが代わって運用してくれるので高い利回りが期待できるという点もある。

投信にはおおまかには2種類あって、期間や募集額が限定されているクローズ型といわれるものと、いつでも買えて、売るときはそのときの時価で売れるオープン型に分かれる。クローズ型は募集期間があって、一定額の資金が集まると受付が締め切られる。そして運用期間終了後に精算され元本と配当が受けられる。対してオープン型はいつでも買えるしいつでも売れる。

これまで、投信といえば証券会社や信託銀行でしか売られていなかった。7年ほど前、半年間ほど信託銀行に研修に行ったことがある。研修名目は年金信託の勉強だったが、実は投信ばかり勉強していた。当時、都銀から信金まで様々な銀行員が信託銀行に研修名目で派遣されてきたが、目先の利く連中は不動産や年金、遺言信託を隠れ蓑にして実は投信を研究していた。

90年代に入って米国内の資金が株式市場に多く流れるきっかけになったのは、実は投信である。「ミューチャルファンド」と総称される投信の一群が爆発的に資金を集めた。これはいわゆるオープン型の投信であり、その後の米国市場の好調を維持する起爆剤になると同時に、成長の原動力となった。信託銀行研修生達も当然これに注目し、自行に持ち帰って主力商品にしようと虎視眈々と狙っていたのである。

ところが、調べていくほど投信販売をあきらめざるを得なくなった。当時の投信は日本では証券会社と信託銀行のものだった。それら投信の運用成績が非常に悪かったのである。預金利回り+αぐらいならまだしも、元本割れで顧客とのトラブルをかかえたものが多かった。

この原因は、当時の投資家達が投信の商品性をよく理解していなかったことと、売る方もよくわかってなかったという理由もあるが、最大の問題は投信の運用自体にあった。当時日本できちんと資金を運用できるファンドマネージャーは少なかったし、仮にうまく運用益を得たファンドであっても、運用側が無用な回転売買などを重ねて売買手数料をぼったくってしまう。結果的に利回りは非常に低いものとなり、投資家は予定調和的なハイリスクローリターン(マイナスリターン)を強いられていたのである。これでは投信という商品に対する信頼も育たず、また売れるはずもない。

研修生達は、銀行本部あてに次のようなレポートを送るしかなかった。

「投信は非常に良い商品ではあるが、現状の商品を銀行で販売するのは顧客への信用を損なうおそれが大きい。本格的な会社型投信(透明性の確保)の解禁まで、あるいは利回りが高く運用の透明性が確保された外資系の投信以外は取り扱ってはいけないし、販売する側の商品知識習得などのトレーニングも大変重要である」

ちょっと前まで日本の投信はその程度のレベルだったわけだ。

2001.01.14