第19回 大家族のススメ

2020年1月15日

 上司が家を建てた。近頃流行の「FPの家」とかいうやつである。高気密住宅で、夏でも冬でも家全体を暖かくしたり涼しくしたりできるそうである。確かに真冬にもかかわらず、家の中は廊下もトイレも暖かい。この不景気に羨ましい話である。

 資金は奥様が出したとのことである(パート労働者である)。足りない分は借金。子供が二人おり、二階にはそれぞれの部屋もある。夫婦の寝室もある。1階は広いリビングとキッチンで、家族の仲の良さが伝わってくるような家であったが、なんとなくなじめなかった。

 帰ってからこの家に抱いていた違和感がわかった。年寄りの場所がないのである。仏間はあっても仏壇は入っていないし、それもリビングとつながっている。ちょっとした個室は2階にしかない。この家には現状の夫婦+子供2人という構成がマキシムだ。息子に嫁が来れば親か嫁の居場所がなくなる。逆に年老いた親が来ても居座る場所がない。

 この家の設計は奥様で結婚以来夫の両親と同居だったらしい。今回家を建てたのは、ずいぶんと遅い独立だったわけで、この家には奥様の年寄りに対するある種の怨念がこもっていたわけである。

 戦後の高度成長期を境に核家族化が進み、今では独居老人や単独世帯化が相当進んでいる。高齢化の進んだある県の統計では、昭和35年を起点とすると、平成2年時点で人口は1割ほどしか増えていないのに核家族世帯は5割増、独居老人世帯は7倍増となっている。今ではもっと独居世帯が増えているだろう。

 また、全体の核家族化は70年代半ばで止まっているとの指摘もあり、団塊の世代が核家族化していったあげくに、その親の世代が独居化していったことが浮き彫りにされる。そして団塊ジュニアの世代が今また晩婚やフリーター・ひきこもり・すねかじりといった「逆核家族化(独立できない)」問題を引き起こしている。

 家を建てた上司は団塊世代より少しあとだが、彼の家を見ていると、時代とずれているような気がしてならない。

 日本という国自体が老齢化している中で、これからは年寄りと若者、あるいは兄弟や近隣同士が助け合って生きていかなければならなくなる。戦後の核家族化は、日本の社会が大きく豊かになっていく中で、経済性や効率性を求めて家族の軽装化が起きた経過だと思う。今度は社会が小さくなっていくわけだから家族の集積化・大家族化へ戻る方が時代に合ったものになるのではないか。

 もし資金に恵まれたら、田舎の大きな土地に大きな家を建てて、親や兄弟夫婦を呼ぶ。そこで小さなコミュニティを作って相互扶助体制をつくればよい。水道も電気も電話も共通でひいてしまえば基本料金は重複しないし大口割引も使える。20坪もあれば立派な家庭菜園が作れるし、畑仕事や孫のお守りなど年寄りの役割も増える。家族が多くなるほど子供達も情緒豊かに育つはずだ。味噌もしょうゆも貸し借りして使えば僻地の不便さもあまりないだろう。

 このプランが成り立つ前提は、それぞれのプライバシー領域を少しずつ提供しあえることと、家族同士・家人同士に信頼関係が成立していることである。小さい頃から何が大切かきちんと教えてきたなら大丈夫のはずだ。逆に効率性や経済性を求めるあまり、流行に流され号令されるままに進んできた人たち、モノの豊かさだけを求めるひとたちには難しいかもしれない。

 厳しい時代を生き残るための企業合併や市町村合併は、大きな経済主体にだけ適合できるルールではなく、家計にも十分通用するのである。

2001.02.18