第10回 仮想と現実のはざま
ある銀行のある支店での出来事。開店と同時にお金をおろしにきたお客が支払窓口(ひとつしかなかった)の機械オンライン故障のため、復旧するまで15分待たされてしまった。ここまではまあよくある話である。ところがこのお客さん、よほど頭に来たのか、銀行名は明示してあるが支店名は伏せた状態でインターネットの某有名掲示板サイトに不満を書き込んだ。もちろんお客さん自身も実名は出していない。
これを見た当該銀行の本部では犯人探しがはじまった。掲示の内容に合致する支店を調査し、つきとめたのである。さらに掲示板に書き込んだお客まで特定してしまった。
支店に対しては注意し、社内的には機械ダウンの際の顧客取り扱いに対する通達文書を出した。問題はこの次である。この銀行は、当該顧客へお詫びにいったというのだ。銀行サイドとしては、よからぬ風評をこれ以上流されるとたまらないと思ったのだろう。きっかけとなった件を支店長が自宅まで出向いて本人に詫びたらしい。
インターネットは仮想現実の世界である。ユーザーのほとんどは「匿名性」というフィルターを通してネットに参加する。本件のようなネガティブな要素ならなおさらである。ある企業の不手際を匿名でネットにぶちまける。ところが当の企業から突然、ある担当者が自分の家にお詫びの訪問に訪れる。この顧客はどう思うだろうか。訴えが認められたと喜ぶか、それとも匿名性が崩れた恐怖や不安を感じるだろうか。僕は後者だと思う。
インターネットでは様々な情報が飛び交う。その中には真実も嘘も憶測も善意も悪意も混じっている。それを検証するすべをネットの中で探し出すことは非常に困難だ。というかネットはそういう漠然で混沌とした世界なのだ。ネットへの書き込みは「そういうことがあった」のではなく「そういう書き込みがあった」という事実だけである。
この銀行の当該顧客への応対は失敗だったと思う。銀行は個人情報をかなり握っているとはいえ警察ではない。匿名投書に対しての処理は投書人探しではなく、不手際の再発防止策を講じることであり、それ以上ではない。
企業も個人も仮想現実と現実との境界線を知らねばならないし、仮想現実の世界の特性、それに対する処方も間違えてはいけないだろう。酒鬼薔薇少年が「さあゲームの始まりです」といって仮想現実を現実の世界に押し込めたことと逆のことをこの銀行はやったのではないだろうか。
個人が公共に発信できるメディアを持った時代である。政府もようやくネット内契約のガイドラインを作りはじめたらしい。企業と顧客との関係はこれからも試行錯誤が続くが相当の混乱もありそうである。
2000.12.11