第20回■■買った株が下がったら

2019年4月13日

2001年2月。何も悪いことをしていない(つもりである)のに、大林組も日航も、私が買ったとたん株価がどんどん下がっていく。

もちろんショックはショックだったが、株価が買ったと同時に下がっていくという屈辱は、昨年末日産で経験済み。一度経験しているというのは強いもので、打ちのめされた感じは前ほどではなかったと思う。

前回は、「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」と信長よろしく上がらない株をさっさと売り払ってしまったことを反省し、今度は買った値段よりも上がるまでは絶対に売らないことにした。何が何でも売らないことにした。いつ上がるのかはわからないが、たとえ1円でもいいからとにかく買値よりも上がるまで待つ。今回のポリシーは「下がるなら 上がるまで待とう 大林」である。

折角この二つのフレーズが出たなら「下がるなら 上げてみせよう 大林」とも言ってみたいところだが、株に関してはこのフレーズは存在しない。少なくとも私のような1000株投資家では天地がひっくり返ってもあり得ない。

いわゆる機関投資家というものが一体何株くらい保有しているものか知らないが、それは例えば何百万株、何千万株という単位になるのだろうか。それくらいの株をもっていたら、一気に売りに出したり買いに走ったりして相場の流れを変えることが出来るだろう。「上げてみせよう」という意志を市場に反映させることもきっと可能なのだろう。

見慣れた株価チャートに、3ヶ月単位、1年単位以外にも一日だけのものがあると知ったのは取引を初めて3ヶ月目くらいだっただろうか。それを初めて見た時、私はこんなに面白いものを何で今まで見なかったんだろうと思った。

例えば、午前中は小刻みに400円と401円の間を行ったり来たりして凸凹模様が繰り返されたかと思うと、午後一番には急になんの前触れもなく405円まで線がまっすぐ伸び、そうかと思うと終了間際にきれいな階段を描きながら395円まで下がったり。この不思議な模様にはなんの規則性もない。何とも説明できない一本の線。次はどう動くのか、上なのか下なのかまっすぐ横なのか、予測不可能な動きに魅せられた。株価がひっきりなしに動いている、まさにナマモノである様子が一目でわかる。

突如ものすごい勢いでグラフが一直線に上がっていったり下がっていったりする様を見ると、「上げてみせよう」とか「下げてみせよう」という意志を感じさせられる。おそらく機関投資家と言われる誰かが思いきり買っていたり、売りを浴びせているといったところだろう。いくらなんでも1000株ではこんなに大胆な模様は描けない。まっすぐ落ちていく、あるいは上昇していく線を見ていると、「こりゃもうあたしにはどうしようもないね」と1000株の無力さを結構あっさり納得してしまうものだ。

一直線に急上昇あるいは急降下するグラフは、波打ち際でぱちゃぱちゃ平和に遊んでいるところを突然襲ってくる津波のようだ。こんなのが押し寄せてきたら、とりあえず様子を見る以外、何が出来るだろう?自分も負けないくらいの波を起こせるような装置を持っているわけでなし、短期間に崩れない堤防を築けるわけでなし。

買った株が勢いよく下がったらどうするか。

含み損が膨らんでいっても焦らぬように、こんな株を買ってしまった私ってバカバカ、と言う自責の念を抱かぬように、ただひたすら何食わぬ顔してやり過ごすのみ。下がってしまったものは仕方ないのだ。株価の行方は全て理不尽、この世の中と同じである。

ふだんの生活にもよくこんな場面があるではないか。あんなこと言ってしまって私ってバカバカ、もうダメかも・・・なんて後悔することが。そして眠れないくらい悩んでも、結局は何となく丸く収まっているようなことが。

・・・と頭ではわかっているのに、「あの時買っていなかったら」「もっと別の株を買っていれば」と、どうしても「たられば」が頭から離れないのは動かしようのない事実である。

2001.06.08
◆CANE