第26回■■取引の姿勢

2019年4月13日

最近、ちょっとまずいと思うことがある。このメルマガが、「株で暮らす!?」という大袈裟なタイトルを掲げていながら、実際の中身は独り言めいた株にまつわる思い出話に終始していることである。

買った!売った!儲けた!損した!といった、生々しい取引の模様を喜怒哀楽とともに綴りつつ、いつしか私が株だけで暮らしていくようになった姿を書きたいと最初は考えていたのだが、最近はどうだ。株で暮らす姿どころか、塩漬け中で資金がないものだから、取引すらできていない状態が続いて早2ヶ月ほど。

そもそも、どうして私が「株で暮らしたい」と思ったのか。今私は月給取りとして月々決まった給料をもらっている。しかし、仕事を辞めざるをえなくなる可能性が出てきた。辞めると当然収入はゼロ。もし私が美容師だったら、ハサミ一本でどこででも食って行けそうな気がする。薬剤師の免許でも持っていれば、すぐ次の勤め先も見つかりそうだ。いわゆる「手に職がある」というやつだ。

しかし残念ながら私は、いわゆる「手に職がない」一般事務屋で、今いる組織からぽんと放り出されて全く一人になったとき、すぐに次の日から自分だけでなにがしかのお金を稼げるような技能も才覚もない。

そこで私は考えたのである。「株をやって利益で暮らせばいい」。これなら資格不問。年齢不問。経験不問。オンライントレードなら、PCは今持っているし、プロバイダとも契約しているし、あとは証券会社に口座を開けばすぐに参加できる。

と言うわけで、「短期売買で利益確定」をモットーに売買に励み、昨年は自分ではそこそこだなと思える結果を出した。過去のメルマガに嬉しそうに書いたとおりである。そして今年になってからは一転、さっぱり結果が出ない。過去のメルマガに悔しそうに書いたとおりである。

今振り返ってみると、「辞める」ことが現実味を帯びていた時ほど、取引も真剣で熱心だった。今までの実績だけに限って言えば、利益額と熱心さを軸にとってグラフを描いたら、きれいに比例するだろう。ところが今は辞める可能性がゼロに近くなったため、「別に株利益がなくても暮らせない訳じゃないしね」という余裕が出てきて、いまいち身が入らない。塩漬けのままだらだら過ごしているのは、相場が下降気味だという現実以外に、こうした精神的な問題があるのではないか(それはそれで別に悪いことではないのだが)と思うのだ。

・・・そんなわけで、今回も思い出話になってしまったみたい。

2001.07.20
◆CANE