第27回■■耐えて待つ

2019年4月13日

株・・・引き続き手も足も出ない状態。上がるのを待つしかない。

売ることも買うこともできず、ただひたすら光がさしてくるのを耐えて待つ今日この頃であるが、日経平均も手持ち株の全日空も下がり続ける一方。パソコンの前でじっと待っていても仕方ないのでサイパンへ行って来た。というわけでまた今回も株と何の関係もない話題。

今回の旅は「きれいな海にぷかりと浮いて午前中を過ごし、午後は昼寝をする」というのが目的。サイパンはそれにうってつけの場所だった。日本から飛行機で3時間という近さもお手頃で気楽である。3時間なら、エコノミーにぎゅんぎゅんに詰め込まれても大して苦痛に感じない。

毎朝、日本にいるときよりも早く起きて、ホテルに面したビーチに出かけていく。朝はまだ日差しも柔らかく、多少涼しいくらいでこの上なく快適。海も澄んでいて、昼間はぬるいと感じるくらいの水温も低めで気持ちがいい。

こんな朝から泳ぎに来るのは自分だけかと思っていたら、地元の子供がTシャツのままキャッキャと遊んでいた。彼らは8時くらいになるとさっと引き揚げていく。しばらくすると朝食を終えたホテルの宿泊客がパラパラとやってくる。日射しがだんだん強くなり、沖の方でモーターボートが走り回り始める前に、部屋に引き揚げて休憩。近くのスーパーで買ったパンを食べて昼寝。夕方気が向いたらもう一泳ぎしてからバスで町へ出て焼き肉を食べ、ビールを飲んでぐっすり眠る、というパターンにすっかりはまってしまった。

サイパンは南北に細長い。西側の沿岸沿いに広い道路が一本通っていて、主要なホテルはこの通り沿って南北に散らばっている。タクシーかレンタカー以外に移動手段のないサイパンでは、この道路を南から北まで往復してホテル間を結ぶシャトルバスが観光客の足となる。真ん中あたりのガラパン地区というところに食事や買い物をする店が集中しており、泊まったホテルがガラパン地区からはずれていた私も毎日このバスにお世話になった。

もちろん観光客のほとんどは日本人で、そのうち50%くらいは家族連れだっただろうか。母は片手にベビーカー、片腕にぐっすり眠り込んだ子供を抱いて、そして父はぎっしり荷物の詰まったリュックを背負い首からビデオをぶら下げつつ、ちょこちょこと歩く子供の手を引き、もう一方の手には町中にある巨大な免税店の大きな袋を下げてよろめきながらバスを降りていく家族の様子を見ていると、自分が子供の頃は、夏休みに家族で海外なんて考えられなかったよなぁ、としみじみしてしまう。子供の頃と言っても50年も60年も前ではなくて、たかだか20数年前(ふた昔以上前ではありますが)なのに。

自分が生まれた頃は家に車もなかったしクーラーもなかった。「これから新しく買うモノ」がまだまだいっぱいあった時代だった。しかし大体の人が一通りの「モノ」をもってしまった今、「新しく買うモノ」はもうほとんどない。これからは、例えばこうして海外に出かけて違う時間を過ごしたり、見慣れない風景を見たりして「形に残らないモノ」にお金を払うという消費しかないだろうなと思った。個人的には形のあるモノを増やして居住スペースを狭くするよりも、形の残らないモノを思い出に変換してずっと温めておく方が趣味にあっている。おそらくお母さんに抱かれてぐったり寝入っていたあの子供には、サイパンに行ったと言う事実なんて覚えていないだろうけれど、家族で楽しく過ごした時間はきっと何かの形でどこかに刻み込まれているに違いない。

と言うわけで、今回の話は、株価が冷え切っていて手も足も出ないとき、同じ耐えて待つならサイパンでも行って楽しく待とう、という体験談だったのだなと思っていただければ幸いである。

2001.07.29
◆CANE