明治時代をイメージしたファミレスといえば「馬車道」。そのスタッフのユニフォームはこれまた明治時代を意識した矢羽の上衣に紫の袴姿。このユニフォームにあこがれて応募するアルバイトも多いと聞く。
この袴姿は明治時代では庶民にとって羨望の的。なぜなら良家の子女通う女学校の制服だったからだ。中でも有名なのは跡見学園。ひときわ目をひいた紫色の袴姿の女子学生は「すみれ女史」と呼ばれ、そのイメージそのままにファミレス「馬車道」は取り入れた。
ファミレス「馬車道」は埼玉県を中心に展開するレストランチェーン。創業は1972年というから、ファミレスの創世記に乗り遅れてはいない。しかしすかいらーくやデニーズなどに比べるとあまりパッとせず潜伏していた様に思う。淘汰が始まった1990年あたりから、コンセプト「明治っぽい食事」をウリとして業績を伸ばしてきたようだ。確かに独特の雰囲気のあるレストランだ。
埼玉出身であるけれど、「馬車道」にルーツは横浜関内の馬車道通りに由来している。横浜開港に伴い、外国人が馬車で往来した情景に驚いた地元民はこの通りを馬車道と呼んだことから始まっている。今でも馬車道界隈は独特の雰囲気を持っている。
今回訪問したのは埼玉県鶴ヶ島市にある「鶴ヶ島店」。敷地内に同系列の焼肉店「はいから亭」を併設したアメニティ的な立地条件。敷地内にはモスバーガーもあった。しかし、モスには客は居なかった。
店内はウェイティングはないものの結構客が入っている。駐車場もほぼ満車状態。「はいから亭」のほうはどうであろうか。昨今狂牛病の影響で焼肉店は辛いはずだ。いまどきはどこの店でもこちらから聞く前に「当店の牛肉はオーストラリア産だから大丈夫」というコメントを聞く。しかし、オーストラリア産だから大丈夫という根拠は無い。「いまのところ発病の報告が無い」というだけに過ぎない。安全とは言い切れないのである。しかし安全だといわないと商売にならない。辛いところだ。
店内に入ると袴姿のスタッフが笑顔で迎える。接客のレベルは普通だ。袴姿に頼りすぎてはいまいか?という印象も無きにしも非ず。料理は不味くはないが、特に感激するほどではなかった。私の好物のカルボナーラは卵黄を絡めるタイミングが難しい料理だが、案の定団子状態で提供されてきた。一緒に注文した「船乗りドリア」も「オフクロ御膳」もありきたりだ。特筆すべきは大皿で提供される「気まぐれサラダ」と食後に頼んだデザートの「馬車道トリフ」。これはなかなかのものだった。
さて「明治っぽい雰囲気」はほぼ最高といえるものを持っているファミレス「馬車道」だが、提供している料理がイタリアンというのはどういうわけなのだ?明治時代に入ってきた舶来の料理はエゲレス料理であり、メリケン料理であり、またおフランス料理であったはず。今更どこのファミレスでもミギエナラエをしたようなイタリアン提供ではいささか興ざめである。早急に明治時代の風俗を研究し、その当時の料理を再現しつつ、現代風の味付けをしていただきたいと思う。
2001/12/09
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