外食産業が台頭する1970年代といえばもっぱらひらがな系店名のファミリーレストランが何かと話題になるが、それ以外にも中華系のファミリーレストラン化で成功した企業もある。茨城県を根拠地とする珍來がそれである。

珍來といえば店舗より大きい真っ赤な「手打らーめん」の看板と、窓をアーチ型に蔽った中華模様のテントで席捲、その看板に見覚えのある人も多いと思う。

いまでこそバーミヤンに代表される中華系のファミレスは多くなったが、当時は珍來がほぼ独走状態で、気取らない中華メニューとその低価格路線で圧倒的な支持を得たものだ。

珍來の成功は、中国料理ではなく大衆料理の中華料理に特化したことにある。当時中国料理の郊外型レストランは既にあった。しかしそれほどヒットはしなかった。ラーメン専門店も多くあった。しかし人々はラーメンだけでは納得しなかった。高い中国料理ではなく、ラーメンとチャーハンそして餃子にレバニラ、野菜炒めが食べたかったのである。

珍來のウリである極太の手打ち麺はそれはそれで魅力がある。しかしヒットの要因は手打ち麺ではなく、この中華料理食べたいニーズを満たしたことにあると思う。そして珍來はそのニーズをがっちり受け止めて成功したのである。

これに味をしめた珍來はFC展開をし、街には手打らーめんの看板が溢れるようになる。隆盛を極めた企業の常で内部分裂が起こり、珍來直営店と珍來総本店直営店が道路をはさんで対峙する光景も見られた。そしてご多分に漏れず味の低下、オペレーションの不備、教育の不徹底で段々衰退していく羽目になるである。

当時、珍來のメニューにソース焼そばなるものがあった(今でもあるが)。この焼そばは破格の250円で販売していた。しかしこの焼そばはものすごく不味い。それもそのはずこの焼そば用の麺は前日に余った餃子の皮をつぶして焼そばの麺にしたものだからだ。ぼそぼそで美味しいはずがない。

こんなものをお客が納得するわけがなく、ソース焼そばは不味い珍來の代名詞になってしまった。今は焼そば用の品質のよい麺を使っている。価格も500円になった。具がほとんどなく今のこの500円も高いような気がするが、じつは私はこの珍來ソース焼そばのファンである。

さて、その珍來も居酒屋風の中華料理店の台頭で最新店舗はおしゃれになってきた。ウリであった店よりも大きい看板はナリを潜め、ウッディなの流行のデザインを採用している。これも時代の流れか。

珍來はお世辞にも美味しい店とはいえない。支持される要因は伝統中華とその低価格である。そのため美味しくない店との罵倒もあるが、それはそれでリーズナブルなものを提供していると私は評価する。

珍來でオススメなのは、中華なべを振った料理だ。使っているスープ(ダシ)が薄いので例えばラーメンはやめておいた方がよい。麺類を頼むなら鍋でスープをその都度仕込むタンメンや広東麺がオススメ。これなら野菜からダシが出る。また、チャーハンやジャンボサイズの餃子もオススメである。しかし餃子はニンニクはめちゃくちゃ効いているので翌日接待がある人はやめておこう。

色々言われている珍來だが中華系ファミレスの老舗としてがんばっていただきたいと思うのであるが、それにしてもラーメン系のダシの薄さはなんとかしてほしい。

2002/05/19

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