どさん子や元祖サッポロやに代表される第1次ラーメンブームが1965年ころから1970年ごろに起こった。まもなくサッポロラーメンが飽きられた1975年ごろ、怒涛の勢いで伸びてきたのがこの「元祖中華つけ麺大王」である。
当時、飲食店に興味があった私は、フェミレスをチェックする傍ら、ラーメン店にも繁く足を伸ばしていた。「元祖中華つけ麺大王」は甲府、狩場、新宿、浜松町などにあり、見つければ店に入ってチェックした。
つけ麺は新鮮だった。中華のダシと和風のダシが微妙に絡まり、通はお酢をたらして食す。麺が太くてコシがあり、また量があった。大盛りつけ麺などドーンと大皿で出てくる。当時は量が多いことも重要だったのだ。
新宿コマ劇場のそばにあった「元祖中華つけ麺大王」に入ったときのこと。当時「つけ麺大王」はどこも優良店だから店は満席。いざ店に入るとお客がゲラゲラ笑っている。何をしているのかと思ったら、カウンターの向こうで従業員が漫才をやっているのだ。いや漫才といえるようなものではない。他愛ない会話だがそれが笑いを誘う。おかげでつけ麺を待つ間長い間、退屈しない。つけ麺は麺が太いからゆでるのにすごく時間がかかるのだ。
この笑いは意図したものではないと思う。単に話好きの従業員がしゃべりにはまっただけだと思う。しかし、料理を待つ間にお客を退屈させないこの自然体なエンターテイメントは賞賛すべきものだ。満席なのは「元祖中華つけ麺大王」というブランドではなく、店の持つエンターティメントのせいではなかったか?特にこの新宿店は「元祖中華つけ麺大王」のなかでも優良店だと聞いた。
「元祖中華つけ麺大王」の命も5年で終わった。日本のフランチャイズは本部がロイヤリティを取りすぎ、店を増やすだけ増やして後は知らん振りというのが多すぎる。「元祖中華つけ麺大王」もご多分に漏れず本部が怠慢だった。本部は元々製麺工場を業とする。フランチャイズのマネジメント能力があるはずもない。麺が売れればいいという感覚であった。
「元祖中華つけ麺大王」は絶好調の羽振りが良い時に同社の営業部長が反乱を起こし亜流ができた。「元祖中華つけ麺一心亭」がそれだ。外見は全く同じ、メニューも全く同じ、しかし麺だけは違う。私が思うに、麺はオリジナルの「元祖中華つけ麺大王」のほうがはるかに質は高かった。亜流は教科書どおりすぐにダメになった。そして元祖ともども廃れに廃れ、今や「つけ麺」の看板を見つけるのさえ難しい。
先日、マガジンの発行サイト「パブジン」のウェブマスターに会いに行った帰り、品川の駅前のラーメン屋に入った。「花の華」というこのラーメン屋は大森出身のシンガーソングライター石岡美紀さんのお父さんがやっているチェーン店である。そんな馴染みもあって、入ってみたはいいが、実際びっくりした。
そのメニューは20年前の「元祖中華つけ麺大王」のメニューそのまんまだったのだ。花の華も一時期は「元祖中華つけ麺大王」に加盟し、だめになった後、名前を今の「花の華」に変え、何とか繋いできたのだろう。ちなみにラーメンの味は普通であった。うまくも無いしまずくも無い。しかし、間違い無くこれでは生き残れない。
ちなみに私は自営の「たまごやラーメン」を経営する前は「元祖中華つけ麺大王」を実際に経営していた。本部にバブル時代を象徴する借金経営を進められ、本部の衰退と共に経営が悪化し、5年を待たず沈没した。売上のほとんどが返済金に宛てられていた内容は今考えると狂気に等しい。そんなことを皆平気でやっていたのがバブルの実態である。
「元祖中華つけ麺大王」の看板を見かけたら、すかさず入り、当時を懐かしむたまごやである。
2002/11/10