「モータリゼーション」という言葉ももはや死語に近いが、1960年代の日本の経済はこのモータリゼーションに支えられて成長したといって過言ではない。時の池田勇人内閣は、所得倍増計画を発表し、高度成長が大いに焚きつけられた時期である。日本の乗用車生産と販売は急速に伸び、一般大衆が乗用車を所有するようになった。
それまでは旅といえば列車を利用するのが主流であった。しかし乗用車の普及は旅に自由度を与えた。いつでも座っていける。時間に束縛されずどこでも自由にいける。これは画期的であった。この、自動車を使った経済効果をモータリゼーションと呼び大いにもてはやされた時代である。
モータリゼーション効果はサービス業の考え方も変えさせた。特に立地面での変化が著しい。サービス業といえば今までは駅前立地が当たり前だった。サービス業は人が集まって初めて成立するのだから当たり前。人通りのある通過立地が必須なのである。しかし、モータリゼーションは向こうから人がやってくることを可能にした。よいサービスを持っていれば立地に関係なく客が来る。これも画期的なことだ。
その結果、まず飛び出したのが飲食業。郊外の安くて広い立地を確保し、広大な駐車場を確保し、飲食だけでなく、トイレやお土産販売などを複合して旅行者に便宜を図る。ドライブインの登場だ。ドライブインは一般旅行者だけでなく、団体のバス旅行者や定期便のトラック運転手などを顧客に取り込み、大いに発展した産業なのである。
やがて、1970年代になるとドライブインをより飲食に特化して登場したのがご存知ファミレスである。すかいらーくやデニーズの成功をみて、あらゆる産業がすかいらーくの模倣をし参入、ひらがな店名のファミレスもどきが乱立してやがて衰退して言ったのはご存知のとおりである。生き残ったのは本当にノウハウと根性のあるところだけ。
さて、現代。ファミレスの台頭で息を潜めていたドライブインだが、個人事業的な零細はともかく、大きなところはそれなりに商売を発展させている。ファミレスでは対応し切れない団体客や観光客にターゲッティングをし健闘しているのである。ファミレスと同じ土俵でないことが注目に値する。
ドライブインとして昼食タイムに団体の観光バスを受け入れられれば、結構な売り上げになる。また観光土産品の売り上げもバカにならない。ドライブインといえば汚いトイレが定番だったが、これを清潔にし、飲食部門に名門の料理長のノウハウを導入し料理で呼ぶ。そのやり方はホテル業に通じるところがある。
しかし、ドライブインもファミレスもうかうかはしていられない。一生懸命健闘している割には売り上げは上がらないのだ。その理由の一番はコンビニエンスストアの存在。飲食、トイレ、リフレッシュという要素のみを考えれば、いまどきこのコンビニですべて用が済む。何も価格の高いファミレスやダサイドライブインを利用する意味はないのだ。
とはいえ、まだまだドライブインや郊外型ファミレスの生きる道はあると思う。まずは基本的な考えとして、コンビニと同じ土俵で戦わない勇気と知能と戦略が必要である。
2003/03/09